劣等感補償
このエントリーを読んで、思うところがあった。
いいかげん「ブラクがいてよかったわ!」のおばさんのまねはやめないか、みんな - だんぺんぶこみっく - 断片部
差別は劣等感を補償するために存在する。劣等感の強い人間ほど、それを補償するために弱者を作ろうとする。
僕は差別的な発言をする人を好きになれない。そんなことを言いながら、自分がそれに準ずる行為や言動をしてしまうときがあり、後で後悔することがある。この話のポイントの一つは差別意識が誰にも存在しえることにある。おばさんは貧乏ながらも子供を育てあげた立派な人だったのである。
だいぶ前から、僕はニュースを見なくなり、新聞を読まなくなった。
ニュースは、弱者に哀れむふりをしながらあざ笑っているものばかりだ。散々人の不幸を晒したあげく、どうでも良いカルガモ親子の微笑ましい映像を流して、視聴者に「あー、私達って、こんな微笑ましい映像で心が和まされるなんて、やさしい心の持ち主なんだわ」と思わせて、自己陶酔させる。視聴者は、他人の本当に良い話なんて望んでないから、カルガモ親子の映像が調度良い按配なのだ。
新聞は空気を読みすぎて、世相のカーボンコピーでしかない。論理はめちゃくちゃだし、結論ありきで記事を書くので、世の中が見えにくくなる。
ちょっと前まであった「勝ち組、負け組」の特集は、「勝ち組、負け組」特集だ。みんな必死に負け組を探している。
こういうのは全部、劣等感補償をするために存在する。
江戸幕府がブラクを作ったのは、小数の武士が大多数の農民を手なずける為だ。
「農民のみなさん聞いてください。あなた方は素晴らしいです。ブラクの人を見てください。あれは人ではありません。」
そうやって、劣等感を補償してやったのだ。
こういう劣等感を補償するやり方が、僕は昔から嫌いだった。劣等感をこういったやり方でしか解消することができない人達とは、友人としての付き合いができないと思う。
谷川九段が、構想力で羽生善治に対して嫉妬心をもっていたことを告白していた。そして、嫉妬心を克服した経験が語られていた。(引用は記憶)
嫉妬心は、相手が自分と同じであると思っているから生じる。
羽生さんは羽生さん、自分は自分と思えるようになってからは、嫉妬心はなくなった。
谷川九段は嫉妬心を克服して、自分の将棋が指せるようになったそうだ。
テレビを見ていると、
1.イチローのように、とても自分らとは比較の対象にならない相手に対しては、最高の賛辞を送る。
2.同等と思える相手が、自分らより良い待遇にあると許せない。小さな事件をおこした名もなき小市民がターゲット。
3.確実に大多数から見て下と思えて、晒し者にされている事に気付かない人達を晒し者にする。
てなことが行われている。
あー、くだらない。嫉妬心や劣等感補償で心を縛られるなんて時間の無駄。でも、それから抜けれない人って多いよね。自分の心の底に巣食う差別意識、嫉妬心を発見することから、始めないとなぁ。そして、自分を律していかないとね。