被爆治療83日間の記録

1999年9月30日に起きた東海村での臨界事故

ニュースを聞いたときは高校生だった。
バケツでウラン溶液を均質化を行なっていたという事実だけにしか当時は注意がいかなくて、その被害者の壮絶な闘病生活まで思いが至らなかった。


リンク先は衝撃的な内容になっています。
被爆治療83日間の記録

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放射線を浴びると細胞が分裂再生しなくなる。人は生きているとき2週間くらいで細胞が入れ替わる。
大内さんは被爆して細胞が再生しなくなって、83日間の闘病生活亡くなった。

原子力の現場にいる人たちの多くは放射線被曝の危険性に対する十分な知識もなく危険な現場で働いている。
作業の意味を理解しないで仕事することはかなり危険だが、そういう現状が今も続いている。

原子力なくしては今の文明は成り立たない。犠牲や事故に目を瞑るのではなく正面から向き合っていく態度を社会全体としてもつ必要があるのだと思う。ロクな報道ができないマスメディアを批判することは簡単だけど、科学者側からも積極的に発言をしていくべきなのだと思う。

罪のない人とその家族が犠牲になってしまうのはあまりにも悲しすぎる。

モルモットとして大内さんは生かされたという心ない発言も見る。
僕は、大内さんが83日間の闘病生活にあったと知ったときは、苦しさから死を望んだのではないかと思った。

でも、事実は違った。
悲惨な状況にありながらも大内さんは最後まで生きようとしたし、彼の家族も大内さんに生きてほしいと願った。そして治療に携わった人も助けたいと思っていた。自身が悲惨な状況にありながらも家族に対しては愛情をもって接する大内さんがなぜ犠牲にならなければならなかったのか。

そんなことを考えさせられた。