具象による病

抽象概念と数学学習 - Radium Software

僕がかかった病もこれだ。集合論って実世界拠り。
何が感覚的に受け入れられかって、結局どれだけその考え方に慣れ親しむかに依存する。相対論的完全流体について、2年くらい研究した僕には、(特殊)相対性理論が提供してくれる世界観は、ごく普通だし、疑問を感じることがない。量子力学もそう。古代の人が受け入れなかった地動説を現代人がごくあたりまえに感じているように、量子力学の世界に慣れてしまった。

感覚がついたのはいいことかもしれないけど、その世界の常識に縛られてしまう。絵図を見て、僕の常識の中で理解をしようと試みた。

それから抜け出る為に勉強会に参加したつもりだったのに。


僕の物理の勉強の仕方は、だいぶユニークだと思う。その分、普通の人より時間がかかってしまった。

量子力学の本を読んで、よく分からなくなり、線型代数を勉強した。空間の意味がわからなくなり、幾何を勉強した。ゲージ場の理論が分からなくなり、バンドルと接続の理論を勉強した。

その中で、物理の本を読んでただけでは分からないようなことが見えてくるようになった。あまり認識すらされないようなことでも、疑問を感じ、突き詰めれるようになってきた。

少し自信がついたけれど、今まで得てきたものに拠り所を求めてしまい、そこに固執してしまった。

対応関係を突き詰めることは重要だけど、それに固執してしまってはダメだ。


一年くらい前、名の通った物理学者のかみ合わない議論を横で聞いていて、
「こんなにすごい人たちでも、自分の立ち位置からしか物を見れないんだなぁ。」
と傍観していたが、そういう病に自分も軽くかかってしまった。

あまりにも知識がありすぎると、そこを足がかりに理解しようとするのだと思う。それは多くの場合有効ではあると思うけど、時には大きな弊害になる。

結局、新しい産業が若者によって起こされるのも、既に立ち居地を確立している巨人達は、その盤石さゆえに、新しいものに目が行かないからだと思う。

視野は広げないといけないねぇ。