方法序説

学生実験の途中で抜けて、Weinbergの場の理論の2巻を買いに生協の本屋に。

物理科の修士と遭遇。位相と集合論の本を探しているとのこと。最終的には、微分形式を理解することが目的だそうだ。ゲージ理論の数学的にも物理的にも満足いく本ってそういえばないなぁ。とりあえず、自分と同じように幾何と物理の関係に興味をもっている人がいることが分かって、少しうれしかった。

自分が今まで良いと思った本をあげると、彼の数理科の友達が薦めた本と一致した。良いと思う本は数が絞れるから、一致するのも当然の帰結かも。

「この本はものすごくダメな本だよ。」
*1
「あ、それ友達も言っていました。」

話は変わって、超弦理論に。
超弦理論ってどうなの?」
「紐を仮定するだけでいろいろでてくるならいいのですけど、仮定が多いです。」

へぇ、結局そうなんだぁ。

15分くらい油をうった後、実験室に戻る。

トラブルが続いて、時間が余計にかかった。



研究のこと

家に帰って、寝ようと思ったけどすぐに寝付けなかったので、なんとなく、デカルト方法序説を拾い読みをした。方法序説は高校生の時に図書館で借りて面白かったので、宇都宮の本屋で取り寄せてもらって買った本で、なんとなく思い出のある本だ。

1.「学者の名声を得たいと望むのなら、真理を探究するよりも、真らしさで満足するほうが、はるかに容易に目的を達するだろうから。
 真らしさは、あらゆる種類のことがらにおいてたいした苦労もなく見つけることができるが、真理は、ある限られたことがらで少しずつ発見されるだけであり、ほかのことがらが話題になると、知らないと率直に打ち明けねばならないものなのだ。」  第六部、p94

2.「ほかのどんな人が取り組んでも、それを始めた当人ほどにはうまく完成されない、」 第六部、p95

1について、
やろうと思えば、やれることはいろいろあるのだけど、「真実らしさで満足するのか、真実を追究するのか」では困難さは違ってくる。真実らしさで満足するなら、もっと論文を書ける気がするし、キャリアを築く上で有利に立ち回ることができると思う。遅々として進まぬ研究(けれど確実に前進はしている) に時をくれと願う日があったけど、16世紀のデカルト様も苦労されたなら、仕方がないか。

2について、
これは、量子力学と熱力学と相対論の教科書を読んで思った。数ある教科書をいくつか読んでるうちに平凡な物理学者の理解の仕方が、20世紀初頭の pioneerに酷く劣ることを知った。時代は進むことで科学は進歩すると思うのが普通の認識だと思うけど、退歩することも往々にして起きる。結局、巨人の肩に乗るスタイルでは、pioneerの先を見通すことができなく、どんなに時間がかかっても、自分の足で立つ為に再構築するしかないのだと思う。

とまぁ、ぐだぐだ考えながら、「怒り親父」(ニートに説教をする江川達也)を見て、就寝。

スイーツ。

*1:数学レクチャーノート 基礎編