古文書

過去の論文を調べて、自分の主張とかぶっているものがないのかを調べているのですが、面白いことがわかりました。

流体の変分方について、20世紀初頭にある程度分かっていることが、1960年を境にすっかり忘れ去られているのです。戦争で基礎物理がないがしろにされたからなのでしょうか?

科学は常に進歩していると思われがちですが、退歩していることも往々にしてあります。

先人の作り上げた基礎を学ぶだけでは、先人の到達した知恵には及びません。自らつくりあげる苦しみをたどらなくてはならないと思います。

ホンダ技研がボーイング社と共同で飛行機を作っていますが、ホンダの技術者はノウハウが無い為に0からの設計でした。ところが、ボーイング社は過去からの膨大なノウハウを持っています。しかし、ボーイング社の技術者はノウハウを理解しないで継承だけをしているので、ノウハウ以上のことができないらしいのです。材料にカーボーンが使えるようになったから軽量化とか、制御にコンピューターでとか、技術革新を行っているのではなく、単に外で生まれたものをくっつけているだけです。

サイエンスも応用だけを見てるとノウハウの継承になってしまい衰退します。流体力学の基礎理論は150年以上の歴史がありますが、最近の教科書では良いものがありません。1930年代の教科書が一番できています。応用物理というのと聞こえは良いのかもしれませんが、ボーイングの例のように中の人は分けがわからずに先人の残したマニュアルにしたがって動いているだけなのかもしれません。僕が学部のときに古典物理を教科書で読んでもよく分からなかったのは、マニュアルを読まされていたに過ぎなかったからだと思います。教科書もマニュアルで、教えるほうもマニュアルだったら、分かるはずかありません。

先人の残した等式一つには、膨大な考察が含まれているのです。それはマニュアルみたいにきれいには書けないけど、それを知らないで理解はできません。

プロ棋士の残した棋譜はたった100手から200手に過ぎないけど、それに到達するためには論理でははかりしれない何かがあるはずです。

で、1950年よりも古い古文書を捜索しています。図書館の古い書架で迷子になっていたら、司書の方が声をかけてくれました。

「古文書をさがしています。」

と答えたら、司書の方は僕がたとえ話をしているのだと思い、

「そうですね。今はデーターベースから直接とってくることができますから、こういうところで探すのは大変かもしれませんね。」

といい、一緒に探してくれました。

ホコリまみれの論文が見つかると、僕が本当に古文書を探していたことを理解して、司書の方は笑いだしました。

まぁ、もう少し適当に探しますか。