頭の良い人 悪い人
最近、めっきり日記を書かなくなってしまった。本当は書きたいネタがいっぱいあるのだけれど、研究の方が忙しくてブログを書く暇がなくなってしまった。
何時書くか分からないけど、書きたいネタは、量子系における環境とシステムの分離について。ネーターの定理について(これはだいぶ前に書いたけど、かなり中途半端)。圏論勉強会でネタになった量子計算のダイアグラムについて。14日の圏論勉強会では他の参加者からλ計算について教わった。自分のよく知らない分野について、よく知っている人から教われるのはありがたい。
最近、おもしろい文章を発見した。
寺田寅彦 科学者とあたま
75年前、昭和八年(1933)の文章だけど、古さを感じさせない。こういう文書を読むと励みになる。
世の中には数多くの秀才がいる。しかし、理論物理をやるには歩みの遅いものならではの強みがあるのではないかと常々思っていた。
たとえば、量子力学。これは本当に分けがわからない。このロジックをすんなり受け入れて、教科書を読める人は秀才だと思う。秀才が歩みが速いのは、分ったつもりになれることと、その上で次のステップに進めるからだと思う。「分ったつもり」と書くと皮肉ぽいけど、これは高度な知的作業だ。限られた時間リソースの中で、結論を出す必要があるときにはこの作業は欠かすことができない。
でも、本当に理解するには歩みの速度を緩めて、立ち止まってみる必要がある。そうすることによって、偉大な先人達の業績の中に修正点を見つけることができるし、新しい視点を見出すことができる。
さて、量子力学だけど、状態ベクトルという考え方は捨てるべきだと思っている(いつかもう少し詳しく書くかも)。状態を記述するのにヒルベルト空間をわざわざ用意するのは本質的ではない。空間を用意するというのは、20世紀の初頭に生まれた集合論に立脚する現代数学のロジックに深く依存していて、もうそろそろ別のアプローチで理解したほうが良いのではないかと思っている。
世の中ではあまり基礎物理は流行ってないけど、駆け足で物理を修めて応用だけをやっても、あんまりいい結果はでないのではないかと思っている。応用も重要だけど、基礎についても真剣に見つめることも重要だと思うし、そういうことをしてかないと良い仕事をすることは難しいと思う。