無限の果てに何があるか?
読書感想文
無限の果てに何があるか―現代数学への招待 (知恵の森文庫)
集合と圏論は互いに相補的な関係にある。集合のほうがやや具体的で圏論は元と元の関係に注目する分抽象的だ。
この本はそんな観点では書いてないけど、上記の観点で読むとなんとなく圏論的な考えが浮き上がってくる。
1章
自然数から有理数、無理数、複素数へに体の拡大。前の体と整合的になるように拡大していく話。
p121 2.4意味からの脱却
定義が作られるのは、命名されることがらを指示するためであって、その本性を示すためではない。
p123
自分がAという学問の専門家であるとしよう。そこで甲という理論は、どうも専門のAにおおいに役にたつのではないかと勘が働いたとしよう。このとき、本当に功を役立てるためには、甲という理論体系の公理系をAが満たす(Aは甲のモデルである)ということを確認しなくてはならない。
(略)
α,β,…の間の関係が甲の公理をすべて満足することを確認するわけである。
重要なのは対象との関係であって、対象そのものではない。具体性は対象に対し、どういう解釈を与えるかによって決まる。
p136 3.1 数学における真理とは?
物理的な法則を数学が適用できるように確立しようというのが、科学というあり方なので、物理的な対応をもって、1+1=2が真かどうかを調べるというのは話が逆なのである。
同意しかねる。物理とは、状態の推移をしらべるのであって、その物理的対象と対象の推移規則が重要である。それを表現するのに数学が有効であるのであって、数学が適用できるのに確立しようとしているわけではない。また、対象に対してはやはり具体的な本性が与えられているのが望ましいが、直感が有効でないものにたいしては、対象の推移規則に注目するほうがよいのではないかと思う。
p137 3.2 「集合」の威力
現代の数学は「集合」を基礎としている。それは集合という概念をよく使うというばかりではなく、むしろあらゆる数学理論を展開する場として集合論がひかえているという意味である。
集合論を真面目に勉強したのは、大学院1年生のときだ。幾何をちゃんとやるためには集合論をしらなくてはできない。物理をやるのに集合論の考え方がなかったので、集合論を勉強することは別の国に来たみたいに新鮮だった。
しかし、物理をやるのに集合論をしらなくてもよい状況は、集合論が本質的でないことを示している。熱力学みたいに系に対してどんな操作が可能であるかが、考察の対象になっている分野もあるし、大概、物理においては、系に行う操作にたいするリアクションが重要である。こういうものに対し、対象の本性は何であるか、どんな集合に属しているのかを考えるのは、物理をやるには遠回りのような気がする。
これが圏論を勉強しようと思った理由だ。
3.3 記号で「論理」を表現する。
「ならば」の真偽表について疑問だったけど、少し分かったような気がする。
A | 真 | 真 | 偽 | 偽 |
B | 真 | 偽 | 真 | 偽 |
A⇒B | 真 | 偽 | 真 | 真 |
まぁ解釈の問題だけど、
A | 真 | 真 |
B | 真 | 偽 |
A⇒B | 真 | 偽 |
は良いとして、
A | 偽 | 偽 |
B | 真 | 偽 |
A⇒B | 真 | 真 |
について、
p152
Bが儀なら、儀から儀が推論されるのは、儀が推論されただけのことであるし、
Bが真なら、儀が仮定であるにもかかわらず、結論部分が真なのだから、文句ない。
解釈の問題だけど、少し納得した。
Aが真儀に関わらず、Bが真であれば、A⇒Bが真だとするのは、Bが真であれば、Aが仮定として使ったかどうかを不問にすることができるからではないかと思う。命題論理ってそもそも誰がどういう目的で考えたのだろう?
Bが儀なら、儀から儀が推論されるのは、儀が推論されただけのことであるし、
は良く分からない。
そもそも、数学で偽の命題から儀を推論することがあるのだろうか?
p167
通常の数学では、これまで述べたような形の述語論理を完全にいつでも正しい論理として採用し、証明や命題の記述に用いていくのであるが、実際は論理体系は無矛盾でありさえばいいのだから、たとえば、様相論理や量子論理などの論理を採用した数学も存在しうる。
論理体系が無矛盾であるのはどうやって確かめるのだろう?論理体系が無矛盾であることをそれ自身によって示せないのがゲーデルの不完全性定理なのだから、なにか別の論理をもってくる必要がある。
p187 3.5 結局1+1とは何か?
これは面白かった。
p194 4.1「実無限」と「仮無限」
瞬間的には止まっている矢が、どうして運動できるのか」というあの有名なパラドックスが、数学的に問題ないにしても、現在でも物理学的に解決されたとは思えない。現実の空間が実数体と同じ構造をもっているとは考えられないからである。
速度の概念は微分によって得ることができるけど、それは空間が実数体であることを仮定している。量子ゼノ効果とかあって、観測によって状態を効率つかせる現象がしられているので、単純な速度の概念を考えなおしてみる必要があるかもしれない。
p214 4.2 極限という名の仮無限
イプシロン・デルタ論法
「いくらでも」とか「限りなく」とか、要するに無限の匂いのする言葉が一切表にでない仕掛けになっている。
全称記号∀と存在記号∃が使われているので、無限の概念がそこに入っている。こういうものに対して、イプシロン・デルタ論法とは違う解釈を与えるのが超準解析だとは思うけど、どうなんだろう。
p218
無限量を一つの完結した量として用いることは反対です。
そもそも、数として扱われるためには、少なくとも加減乗除という四則の定義が可能でなくてはならない。
無限を普通の数とは同列にはできないよね。って話
p224
濃度 |N| = |N-1|
選択の公理が必要
ふーむ、そうですか。
p230
次元の違いって、連続写像があるときに重要になる。
P232
「自然数こそが人間がつくったもので、あとの数は論理的必然の結果にすぎない」というのが本書の主張
これは本の前半の内容。
P244 4.4 自分の正しさは、自分では証明できない。
非ユークリッド幾何学の発見の機に、公理というのは自明な命題ではなくて、理論の展開に必要なある種の仮想命題である見方が定着していった。同時に、無定義概念の解釈には自由度がある、ということも知られるようになった。これと同じ事態が集合論に生じたと考えれば、理解しやすいのではないだろうか。
p253
ゲーデルの方法に従えば、体系Sの外からしている証明に関する考察が、Sの中に記号の羅列として正確に反映させることができるのである。
データを処理するプログラム自身がデータであるって話だね。