「インテルの戦略―企業変貌を実現した戦略形成プロセス」を読んだ。

たまたま図書館で見つけた本でまあまあ面白かった。600ページの大著。
創業期から2005年くらいまでの話が書いてある。

インテルゴードン・ムーアが1968年に設立した会社で、半導体メモリを主力製品としていた。このことを僕は知らなかった。ムーアは半導体メモリ(DRAM)にアイデアを持っていて、彼自身が優秀な研究者だった。メモリ製造業は今もそうだけど、どう製造するかとか、半導体の物性にどれだけ深い知識があるかなどと、モノ作りの要素が大きい。半導体製造装置メーカーは日本にあったこともあり、一時期はシェアを独占していたが、75年には日本企業群に負けるようになる。ちなみに半導体製造装置メーカーは今も日本は強い。

メモリで稼いでいる間に、次の技術であるCPUのがインテルの日本人研究者、嶋正利によって開発された。当初はその重要性は経営陣には認識されてなかった。これが1971年のこと。CPUは利益率が大きかったこともあり、やがてインテル内で予算を多く獲得することになる。これは経営陣が意図したことではなく、企業戦略として利益率の大きなものに予算を割くという社内ルールがあったために、自然とそうなったことだ。

CPUはメモリと異なり、設計の重要度が高く、製造装置が日本に頼りざるを得ない状況がそこまで不利にはたらなかった。

この変化が面白かった。DRAMの専門家が創業したのにも関わらず、彼らの意志とは関係なくCPUの会社になろうとしていたことだ。
IBMのPCに8088が採用されたのが1981年であり、これを機にCPUの売上が伸び、インテルにはとってはCPUが重要な商品になっていたにも関わらず、インテルがメモリ製造の会社であることをやめたのは1985年である。

それ以降、インテルはCPUのメーカーとして躍進を続ける。
1993年3月 - x86の第5世代に当たるPentium(クロック周波数60-300MHz、トランジスター数310万個、プロセス技術0.8〜0.35ミクロン)を発表。

本では2005年までの話がある。事業をBtoCに広げようとして失敗した例(ビデオ会議システム)や、CPUから派生した商品群の成功例、(マザーボード事業)もある。

著者はスタンフォードMBA教授であり、本のほとんどは、マネージメントについてである。

2014年、インテルがモバイルの所で全く食い込めてないところをみると、マネージメントは優秀なアイデアを事業に結びつけるに必要であるけど、アイデアがないところでは、何かできるものではないという気がする。

スマートフォン向けのCPUは設計だけをする英ARMや米Qualcommの独擅場になっているのは、分業体制が進んだ結果なのだろうか。