やさしい微積分

やさしい微積分 (ちくま学芸文庫 ホ 13-1 Math&Science)」 ポントリャーギン


全盲のロシア人数学者にポントリャーギンがいるけど、彼が高校生向けに書いた微分積分の教科書「やさしい微積分 (ちくま学芸文庫 ホ 13-1 Math&Science)」が筑摩学芸文庫から1000円で出てたので、思わず買ってしまった。

天才の書いた初学生向きの本は、ある程度学習の進んだ人が読んでも勉強になる。発想の根源みたいなものを感じとることができるからだ。

この本では、微分積分が直感的に説明されている。これは初学生向けに書いたこともあるのだろうが、ポントリャーギン自身が数学をそのように捕らえていたからだと思う。

いくつか文章をピックアップして、感想を述べてみたい。

前書きから

私は、中学(日本では高校)での解析学の解説は極限の理論からはじめるべきでないと考えます。極限の理論は歴史的には、すでに存在していた解析学の上への建て増しとして生まれたものであることを思い出すべきです。

まだ中学生のころだったと思いますが、解析学のある教科書で、連続関数はそのある2つの値の中間の値をすべてとるという定理の証明(中間値の定理)を読んだことを覚えています。それを読んだとき、私は大変とまどい、いらただしく思いました。常識のある人は、関数のグラフを、ヘリをきれいにとったぎざぎざのない金属の板として理解されるはずです。グラフをこのように理解したなら、(略) 接線の存在も導関数の存在も疑いを起こさせるはずはありません。全く同様に、このような板が面積をもつことに疑う余地もないはずですし、したがって積分が存在することも疑いはありません。

(要約)三角形は手に取れる板だと思えばよい。

このことは、これが三角形の定義でなければならないのではなく、その理解が、私の考えでは、このようでなければならないというのです。

このような方法論的考えから、
私は解析学の解説を極限の定義からではなく、接線と導関数の定義からはじめます。

おぉ、初っ端から面白そうな書き出し。特に、

極限の理論は歴史的には、すでに存在していた解析学の上への建て増しとして生まれたものであることを思い出すべきです。

私は解析学の解説を極限の定義からではなく、接線と導関数の定義からはじめます。

は興味深い。

極限を語るには、論理学的には、全称命題∀と存在命題∃を古典論理に付加しないといけない。これを数学に組み込むためには、よく知られているようなεδ論法だけではなく、超準解析で無限小量と無限大量を数として組み込む方法もある。

僕は、極限という概念には論理的な必然性がないと思っているので、この考え方には深く共鳴できる。

で、この教科書には、極限は最後の章で付録として直感的に説明されているだけだ。
1章(導関数)

導関数
f'(x)=\lim_{\xi \rightarrow x} \frac{f(\xi)-f(x)}{\xi-x}
で定義していた。この本ではグラフの絵を描き、f(x)上の任意の二点(x,f(x)),(\xi,f(\xi))を通る線を引き、その傾きが\lim_{\xi \rightarrow x}の極限で収束するということを直感的に述べて説明している。

2章 多項式導関数の計算
帰納法で説明している。

3章 平均値の定理
ロルの定理平均値の定理と説明。
ロルの定理は、導関数f'(x)が正のときは増加、負のときは減少を意味することを説明し、極大においては、増加も減少もしないので導関数f'(x)=0になると解説してある。
4章 関数の研究
3次曲線 f(x)=x^3-pxについて、ごにょごにょ計算。導関数、二次の導関数を調べてごにょごにょ。高校の内容

5章 三角関数導関数微分のいくつかの法則
三角関数導関数を図を用いて説明。逆関数導関数についても説明。

6章 不定積分
微分の逆演算として定義

積分計算の非一意性のすべては定数が加わることにつきることを証明している。

関数h(x)の独立変数xのとり得る値の集合が連結(任意の取りうる値をb,atとしたときに、b,aの間の任意の数も取りえる値になる。)のときに、
h'(x)=0
ならば、
h(x)=c 定数

証明
平均値の定理より、
h(b)-h(a)=h'(θ)(b-a)
となり、
h'(θ)=0
より、
h(x)=c 定数 (xの連結性より)

h_1(x)h_2(x)がf(x)の原始関数
h_1'(x)=f(x)h_2'(x)=f(x)
であるなら、
h_2(x)=h_1(x)+c   cは定数
となる。

証明
h(x)=h_2(x)-h_1(x)とすると、
h'(x)=h_2'(x)-h_1'(x)=f(x)-f(x)=0
よって、h(x)は定数。つまり
h_2(x)=h_1(x)+c   cは定数
となる。

f(x)が連結集合上に与えられていることが仮定されて初めて、「積分計算の非一意性のすべては定数が加わることにつきる」が言えることは、意識してなかったので面白かった。

7章 定積分
おもしろかったのは、定積分h(a,b)=h(a)-h(b)を面積Sとして定義し、関数f(x)をh(x)の導関数としているところだ。


まず、0<a<bとして、0からxまでの面積をh(x)とする。すると、面積S=h(a,b)=h(b)-h(a)とかける。
f(x)、(a<x<b)の一番大きい値をu(a,b)、一番小さい値をv(a,b)とすると、
(b-a)u(a,b)≦h(b)-h(a)≦(b-a)v(a,b)
が言えて、明らかにb→aのときにu(a,b)→h(a),v(a,b)→h(a)が言える。

よって、
f(x)\le \lim_{b \rightarrow a}\frac{h(b)-h(a)}{b-a} \le f(x)
となり、
h'(x)=f(x)
が言えて、h(x)がf(x)の原始関数であることが示せた。

積分のとしてのh(a,b)=h(b)-h(a)は一意に定まることがわかる。高校の教科書、参考書にはどう書いてあったかなと気になってきた。

こんど、本屋に行ったときに見てみよう。ネットで検索して上位に引っかかってくるのを見る分にはこれと同様の方法で説明しているものが多々だ。

積分については多様体の不変体積要素と絡めていろいろとまとめてみたいことがあるので後ほどに。

8章 収束性の判定基準について

超越数に関連した話題がおもしろかった。初学生向けの本なので超越数そのものについての説明はないのだが、

数sのいくらでも正確な近似値を得ることができることで、数sがわかったものと考えざるを得ません。このような現象には、すでに、数πを考えたときに出会っています。それをどんな精度で計算することはできても、それ自体をいかなる代数式で与えることができません。

10,11,12章 exp logについて
省略

13章 あとがき 極限の理論

前書きの主張にもあるように、ポントリャーギンは初学者に極限の理論から解析を学ぶことを薦めていない。それでこの章には、直感的に議論されているだけだ。

多くの物理学者は、導関数積分のいわゆる厳密な定義は微積分を良く理解するのに全然必要ではないと考えています。私もこの考えを持っています。

極限の理論に対する淡白な態度が目立つ。εδ論法は、大学数学においては最初の関門になるが、実は重要ではなく、いずれ数学の歴史の中で消えていく運命にあるのではないかと思う。微分積分学において厳密な定義はεδ論法を使ってなされるが、これは表層上の議論でこれに満足することは思考停止に他ならないと思っている。とはいっても、僕はこれに変わる方法を知らないわけで、論理学や圏論、超準解析がその問いにいくらか答えてくれると期待しているが、なんせ時間がなくて…

訳者あとがき

ロシアはソビエト時代に優秀な数理解析者をいくつも輩出している。その源泉となる思想が語られていたので、それを引用する。

多数の数学者は、自分の仕事においてのその源泉、すなわち数学の応用にさかのぼるべきだと思います。このことは存在理由があるからだけでなく、科学研究の新風を吹き込むために必要であります。

これは、全く同意。昔、大学に入るときに数学をやろうか物理をやろうか迷ったことがあるが、結局物理を選んだ。それは、数学だけをやって、内的な厳密さを求めるだけよりは、応用を見ながら数学にかかわっているほうが、常に自分の中で、科学研究の新風を吹き込むのではないかと思ったからだ。

僕は、「内的な思考を外を観ずにして昇華できるほど人類は頭が良くない」と思っている。だからこそ、自然に聞く物理は、おもしろいと思っている。

ソビエト時代にロシアが優秀な学者を輩出できたのは、ソビエトアカディズムが学際的な視点をもって物理学者と数学者の交流があったからだと思う。

各分野が専門化して、学際的な視点をもつことが難しくはなりつつあるが、できる限り広い分野に興味をもち、新風が吹き込むようにしてたいと思います。

おわり。

参考書
やさしい微積分 (ちくま学芸文庫 ホ 13-1 Math&Science) 」 ポントリャーギン