集合とはなにか

竹内外史の「集合とはなにか―はじめて学ぶ人のために (ブルーバックス)」を読んだ。

感想文を書くつもりが、もやもや考えていることを書くだけになったしまった。論理学については素人で、これから勉強していくところなので勘違いしていることが多いと思う。

p15

単純明快な論理な世界
これからいろいろな性質をP,Q,Rなどの大文字で表すことにします。そして、aが性質Pを満たすことをP(a)であらわすことにします。P(a)は一つの命題になっていて、Pとaをきめれば、それが正しいか正しくないかが定まるのです。

数学の世界は論理の世界で、すべてが真と偽とたった二つに分類されてしまう簡単明瞭な世界です。

これは重要。論理と集合の関係はこれに尽きる。

真偽表の説明
アトムさんのこのページがまとまっている。
アトムノート 論理演算と真偽表

仮言命題については、注意かも。本には真偽表が与えられてただけだけど、ここは少し考えてみたくなった。

⇒は、「ならば」と読むけど、日常に使っている「ならば」とは似ているけど別物だ。日常の感覚だと、

A B A⇒B
T T T
T F F
F T T
F F T

の後半二つは受け入れがたい。日常の「ならば」は因果律(原因と結果)をあらわしていて、前提Aが満たされないときの真偽については判断しない。たとえば、「電車が遅れるならば、遅刻する。」を分析してみると、
「電車が遅れるならば、遅刻する。」と僕が連絡入れたときに、
1.実際に、電車が遅れて遅刻した場合、僕は本当のことを言ったことになる。
2.実際に、電車が遅れて間に合った場合、僕はウソを言ったことになる。
これは了解できる。次に、
3.実際に、電車が予定通りに動いて遅刻した場合、僕は本当のことを言ったことになる。
4.実際に、電車が予定通りに動いて間に合った場合、僕は本当のことを言ったことになる。
この二つは日常的な感覚では真偽を判断できない。日常で使う「ならば」は、1と2のように前提が真である条件のもとで、Bの真偽がA⇒Bの真偽を決める。だから、「電車が遅れるならば、遅刻する。」が決める真偽表は

A B A⇒B
T T T
T F F

だけだ。

仮言命題の後半の真偽表については、

A B A⇒B
F T T
F F T

で決められているが、4はともかく、3は日常の感覚とあわない。日常の「ならば」は、因果律(原因と結果)をあらわしていて、日常的な「ならば」でAがFの場合を考慮する場合は、「電車が遅れるならば、遅刻する。(そして、電車が遅れなければ間に合う)」といった具合にして、実現される条件に対して使えば良いと思う。

仮言命題は因果律というよりも、日常での「ならば」に近く、同値関係⇔(A⇒BかつB⇒Aは、同値関係A⇔B)との整合性、「すべてが真と偽とたった二つに分類されてしまう簡単明瞭な世界」を考慮したものに過ぎず、現実の論理を真偽の二値しか持たない世界(数学)で近似しただけ。

「ならば」⇒に意味があるのではなく、推論が機械的に実行される体系を二値論理の世界で作ってみせたことが重要なんだろうと思う。ちなみに命題論理を作るには、¬と∧があれば十分だ。それを考慮すると⇒は、日常の論理での「ならば」に近い論理演算っていう以上の意味はないのかもしれない。

p20 翻訳語としての集合

性質Pについて考えるというのは、実は数学者にとっても考えにくいことなのです。何かもっと図形的な具体的な直感を借りて考えたいのです。そこで発明されたのが集合です。

これはちょっとびっくり。僕はなんとなく論理と集合は独立に存在していたのかと思っていた。それが命題、論理演算を考えるための道具として考えられたことはびっくり。
集合という概念が19世紀後半にカントールによって創始されたのは知っていた。しかし、その数学の中で当たり前になっている考え方が昔からあるものではなく、論理を考えるために発明されたものだったことに驚いた。

p224

20世紀で集合概念は数学における常用の基本概念になり、数学者は集合について直感をもち、数学における多くの構造を構成する常用手段になって、集合で作られた構造について実在感をもつようになりました。

この集合の常用が20世紀数学の、原理化、体系化、抽象化、公理化などにも大きな役割をはたしています。

しかし、これは20世紀になってのことだ。よくよく考えれば、集合論が学科のカリキュラムにあるのは数学科だけで、他の理工系の学部にはない。集合論を知らなくてもサイエンスはできる。でも数学は集合を当たり前のように使っている。
集合論は確かに強力だけど、本来の論理の上に作られた建て増しにすぎないのではないかと思ったりもする。


p42 すべてと存在

重要な論理概念に"すべて"と"存在"があります。

ここまでが第一章

第二章は、順序数とラッセルのパラドックスについて。

第三章は、公理的集合論について。
面白かったのは、
p116

整列可能定理 任意の集合aに対して、順序数αと
f:α→a
となるαとaとの間の一対一の関数fを見つけることができる。


(概略)
選択の公理によって存在が保証されるがその定義が書き下ろせないものがある。

実数を全部実際に整列してみせてくれ。

ZF集合論ではできないことが判明している。

第四章は、現代集合論
直観論理と古典論理量子論理の説明が面白かった。

直観論理は排中律を否定し、量子論理は分配律が成立しない。
p188

直観論理が開集合の論理とすれば、量子論理が線形部分空間の論理になっています。

興味深かった。古典論理集合論を使っていて、直観論理と量子論理が集合に構造を持たせた論理になっているところが面白かった。

僕は、直観論理とか量子論理とかは集合論そのものを変えているのかと思っていたけど、そうでなくて、集合論+構造だったんだね。そうするとこれらもZF集合論の枠組みに入るのかな?

参考url
論理計算における真理値と正負の数の計算におけるマイナスの数との類似 - 数学屋のメガネ

参考文献
集合とはなにか―はじめて学ぶ人のために (ブルーバックス) 竹内外史