確実性の終焉

最近、プリゴジンの本を読んでいる。コンピュータの計算能力の向上に伴って、非平衡状態をシミュレーションする研究も盛んだ。

ここでは、シミュレーションの話を希ガスの話に限定したいと思う。

希ガスのシミュレーションは、ざっくばらんに説明すると沢山のスーパーボールの運動を運動方程式にしたがって解いていると思えばよい。沢山のスーパーボールがぶつかって、軌道を変えていく。

沢山のスーパーボールについて、適当な統計量をとるとマクロな量、例えば温度や圧力などを計算することができる。

僕はこのようなコンセプトが狂気としか思えなかった。実際の物理現象として観測するのはマクロな温度や圧力だ。それがどうして、沢山のスーパーボールの運動の結果だと思えるのだろうか?

しかし、シミュレーションからも有意な結果が出ている。方法が受け入れ難いが、なぜが物理現象を再現することもあるようだ。


希ガスがスーパーボールの集まりだと考えると奇妙なことが起きる可能性がある。

ある箱に沢山のスーパーボールを居れて観測すると、大概は一様にスーパーボールは分布する。しかし、もしかしたら、ある瞬間はスーパーボールがどこかに集まってしまうこともあるかもしれない。

マクロな量としてエントロピーが考えられるが、一様にスーパーボールが分布するときエントロピーは大きく、一箇所にスーパーボールが集まっているときはエントロピーは小さい。

あるシミュレーションによると、エントロピーが減少する時間が存在することが確かめられている。

熱力学の法則によるとエントロピーは常に一定か増大する傾向にある。エントロピーが減少することは物理現象としてありえない。

シミュレーションをすると十分スーパーボールを多くすれば、エントロピーが減少することは殆ど起こらない。しかし、希ガスがスーパーボールの集まりだという世界観を持つ限り、エントロピーの減少の可能性を否定することは不可能だ。

世界観は間違っているけど、シミュレーションの出す結果は現実をほぼ正しく再現する。

この齟齬はどうやって解消されるのだろうかと考えてきた。

ボルツマンは、スーパーボールの運動を解析するのに、沢山の運動方程式を解く代わりに、適当な近似をもちいて、スーパーボールの運動を統計的に解析することを考えた。それがボルツマン方程式と呼ばれるものだ。

ボルツマン方程式を解くと、エントロピーは増大することを示すことができる。

元々、運動方程式は時間反転対称性を持っている。しかし、ボルツマン方程式では時間反転対称性を失って、エントロピーが常に増大するという結果を導いてしまう。そして、このことについて、様々な議論が出た。

ボルツマンはこの方程式をめぐって激しい論争に巻き込まれ、精神をおかしくして自殺してしまった。

現在の多くの物理学者の見解では、ボルツマン方程式は運動方程式の近似の結果だと考えられている。

非平衡系の物理学を理論側で解析する場合にボルツマン方程式からスタートすることが多々ある。シミュレーションでは、運動方程式を直接、コンピュータで力任せで解いている。

やはり、希ガスは沢山のスーパーボールの集まりなのだろうか?

プリゴジンは、著書「確実性の終焉」で以下のように説く。

p28
動力学観点から、個々の軌道を考えることと確率分布を考えることは同等の問題であることが、いつも認められていた。
(省略)
本当にいつもそうなのであろうか?
ボルツマンの分子運動論のように、分子レベルでの不可逆過程を扱うすべての理論が、軌道ではなく確率を扱うのはどうしてなのだろうか?
(省略)
ポアンカレは、次のように書いている。「略 物理法則は全く新しい形態をとることになろう。すなわち物理法則は統計的性格をもつことになるだろう。」これは予言的な言説であった。
(省略)
不安定性(カオス)は、個別のレベルの記述と統計的レベルの記述の同等性を破壊してしまう。このとき確率は、固有な動力学的意味を獲得する。「集団」の物理学という新しい物理学が登場することになり、それこそ本書の基本的主題なのである。

要は、集団の確率的な振る舞いこそが本質であって、確率的な振る舞いは個々のスーパーボールの軌道の近似の結果ではないということだ。

理論的には集団の確率的な振る舞いに滑らかさを要求することが多々ある。僕は昔、滑らかさが何処から担保されるのかが不思議になって、いろんな人に聞いてまわったことがある。得た結論は、「滑らかさは仮定である」だった。滑らかさを要求したときに、確率的な振る舞いは、個々の軌道の近似とは数学的な特性が異なる。

つまり、確率的な振る舞いは個々の運動方程式の近似ではなく、数学的には互いに異質なものなのである。

エントロピーの増大の法則は、多くの物理学者にとって粗視化(近似)にあると考えられてきた。一方、プリゴジンは、確率的な振る舞いの方に物理的な本質を見出した。僕にはそれがリーゾナブルに思える。

大体、沢山のスーパーボールがあっちこっちにあると思うのは、これといった根拠が無い。

シミュレーションが上手くいくように見えるのは、運動方程式のカオティックな振る舞いが多くの場合確率的に扱えるといったところではないだろうか。

集団の中で浮かび上がってくる確率的な振る舞いは、
「色即是空、空則是色」
の考え方に非常にマッチしていると思う。

ちなみに広辞苑によると
【色即是空
この世にあるすべてのもの(色)は、因と縁によって存在しているだけで、固有の本質をもっていない(空)という、仏教の基本的な教義。
【空即是色】
宇宙の万物の真の姿は空であって、実体ではない。しかし、空とは、一方的にすべてを否定する虚無ではなく、知覚しているこの世の現象の姿こそが空である、ということ。

ある教授の説明によると、空は関係の中で浮かびあがってくるゼロ点だそうです。

個々が備える性質じゃなくて、集団の中で浮かびあがる性質を見ていくことが、物理の進んでいく道なのではないでしょうか。

この本の著者プリゴジンは、この本の6年後他界してます。詳細を知りたいと思い、この本ではまもなく出版されるという本を探してみましたが、どうやら出版はされなかったようです。