飛行機がなぜ空を飛べるのか。空気の流れを下向きにするから。
一番シンプルで本質的な回答は、運動量保存則で説明することだと思う。つまり、空気の流れを下向きにするから。
スプーンの背を蛇口からの水流に触れさせると吸い込まれる。これは水流がスプーンの背に沿って変化し流れを曲げるから。その結果、水の運動量が変化し、スプーンはその反力を受ける。同様に翼によって空気の流れが変わって地面方向に流れるので、運動量保存則により、機体が上方に運動量を受け取る。それだけ
そういう説明がないかと少しググってみた。これは今井功先生が何かの本に書いてあった。流体の基礎方程式は、エネルギー保存則、運動量保存則、質量保存則で構成されている。これだけを押さえとけば十分だ。他の定理はこれらから適当な近似や仮定をつかって導かれる。だから、ベルヌーイの定理よりとしてしまうのは、しばしば本質を見誤ってしまう。ちなみにベルヌーイの定理の正体は、非粘性バロトロピック流体の定常流における運動量保存則だ。
今述べたことを抑えた上で、揚力の説明にどういうものがあるか気になったので、少しググってみた。
今井功
『水平な流れの中に飛行機の翼のような薄い板を傾けて置くと、流れは下向きに方向を変える。つまり、流体は下向きの運動量を板からもらうことになる。これは板が流体に下向きの力を及ぼすことを意味する。したがって、その反作用として、板は流体から上向きの力を受けることになる。これがすなわち揚力である。』
揚力とブーメランの物理
これで十分だ。
ベルヌーイの定理との関係が気になるのであれば、次の資料が良いかと思う。
"地球流体力学特論 2012" p19
このような、ボールの回転による変化球や翼の揚力の説明に Bernoulli の定理を直接用い、流速が大きくなるから圧力が低下し、揚力が生じると説明している本も散見されるが、流れに直交する方向の圧力勾配はここで論じたように流体粒子の運動が曲率を持っていることによるのであって、(また、渦無しでない限り、流速と圧力の関係は、異なる流線間では一般には成り立たないことでもあり)、単純に、「流速が大きいところは周りより圧力が低い」などと記憶すべきではない。なお、渦無し流れだと曲率の概念を含めなくても済んでしまう理由は、渦無し流れの場合には流速の増大と曲率が 1 対 1 対応になっているからである。また、Bernoulli 面上で Bernoulli 関数が一定となるのは、その面を貫く渦度ベクトルが存在せず、かつ流速ベクトルはその面に沿っているため、その面上での流れの分布 (流速と曲率の関係) が渦無し流れと同じになることによる。
その他、翼の理論の歴史はこれが詳しい。
翼理論の芽生え(リリエンタール、ラングレー、ライト兄弟の飛行)
揚力は流体の流れの方向を変えることによって生じた運動量の変化による反作用である。これは大雑把な話である。運動量保存則はもともと大雑把な話であって、その力学の詳細には立ち入らない。つまり、「結果として翼によって流体の流れの向きが変わったので、その反力を機体が受ける」としか述べてない。
翼が流体にどのような影響を与えて、その結果、反力としてどのくらいの揚力を得ているのかを議論するには、固体(翼)と流体の境界面で何が起きたのかを具体的に調べる必要がある。揚力が分からないという言明の意味するところは、境界面の挙動を知ることが難しいということである。ベルヌーイの定理が間違っているとか、翼から発生する渦が揚力の原因なんだとか、混乱した議論がいろいろ巻き起こるが、これらは、それぞれの適切な条件の元では正しい。つまり、境界面の条件をどうするかという詳細について議論しているにすぎない。これらはもちろん揚力を考えるときに重要なことであるが、飛行条件によって適切な境界条件が変わってくる。したがって、議論の前提をはっきりさせないことには、どれが正しいとか間違っているとか議論することはナンセンスである。
つまり、あるときはベルヌーイの定理を使った説明が正しく、ある時は翼から発生する渦を考えることが揚力を正しく考えるポイントになる。しかし、どの理論も結局は揚力の分だけ流体の運動量を変化させていることは変わらない。
話をさらに広げると、運動量保存則のすばらしさに驚くべきであろう。すべての運動法則が運動量保存則をやぶらないことは、物理法則が空間並進対称性をもつという幾何学的な対象であることをあらわしている。これにより、物理法則の詳細に立ち入らなくても、揚力の原因が空気の流れを変えることによって生じる反力であることが分かる。
流体力学も幾何学的な構造をもった物理法則の一つであり、そのような見方についての詳しいことは以下に書いた。
流体力学における変分原理の改良 - hiroki_fの日記
追記
5月18日
どうして飛行機は飛べるの?
下向きの流れができるためには、空気の粘性(ねばりっけ)が必要なんだが、実際に、それをきちんと取り入れた計算をするのは、すごく難しいんじゃよ。下向きの流れができるのは、経験からいっても確実だが、それを理論計算で完璧に示すのは難しい。
たとえば、地面を蹴ってその反作用で歩くためには、靴と地面のあいだの摩擦が不可欠じゃ。ところが、靴や地面の分子のふるまいからどんな摩擦が生じるかを計算するのは、すごい難問で、未だに解決しておらん。だからといって、「私たちが歩けるっていうことも『仮説』に過ぎないんです」というのはやっぱり変じゃろ。